俺も同類…反省

つい、桜田大臣、野党、マスコミのやり取りに対する批判を記事に書いた。

 

しかし、よくよく考えると、この誰かを断罪する気持ちと言うのは、「俺は正しい」を主張する気持ち、すなわち慢心であり、承認欲を満たす行為であることに気づいた。

 

つまり、結局俺も苦しむ人を利用して欲を満たそうとしていたと言うこと。同類である。

 

やはり、「怒りの感情」は慎重に見つめる必要があると反省した。

その奥の一次感情が何なのか?そこには「欲」も含まれると言うこと。とても勉強になった。

 

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承認欲が慢をつくりだす。

なるほどだ。

 

「慢は他人や自分の価値を判断する心」

 

つまり、直接誰かに認めてもらいたいと言う気持ち以外にも、自分を認めたい、と言う気持ちも含まれるのだろう。

 

自分のことを中々認められないときに、不幸な人を見たり、失敗した人を見たり、或いは、今よりもダメだった頃の自分を思い出す行為も同じ。

 

他人と比較する無意味さは分かりやすいが、よく考えると、過去の自分と比較するのも、あまり意味はないのかも知れない。

過去の自分はそのときの状況で戦っていて、今の自分は今おかれている状況で戦っている。同じ自分のようでもよく考えると土俵が異なる。

 

どちらが凄いとか正しいとか悪いとか、どちらが頑張っているとか偉いとか、そんなものはそもそも無く、いつの自分も、どこの他人も、生きとしいけるもの、皆今を必死に生きていることだけが事実。

この事を思い出すことが、しつこい承認欲を抑える有効な方法なのかも知れない。