メンタル研究

最近仕事をしていて妙に抵抗を感じることが増えてきている。

抵抗と言うと語弊があるか。

なんと言うか、プレッシャーをかけられている。ハードルが高められている。と言ったところ。

 

細かいところで見ると、相談しても冷たく「自分で考えて」みたいなことを言われることが多い。

色々考えて相談すると、「…と俺は思っただけなんだけど。」

 

全体的に、俺に考えさせようとしている雰囲気がある。

成長を促している。と言うことになるのかも知れない。

 

それに対して、「もっと考えなきゃダメだな」とか「俺は自立出来てないな」とか、色々と自分に対してダメ出ししている場面が増えた。一方で、「そんなこと言われても分からないし」とか「だったら先に説明しろよ

」とか反発している自分がいた。

 

とても居心地が悪い。

 

こう言うとき、どう考えれば楽になるのか。

少しでも楽になりたくて、溜まっていた本からヒントを探す。

 

ダメ出しと反発。

 

攻撃の方向性は異なるのだが、間違いなく関連している。

 

まず読んだのは仏教関連。

 

自分を許せば、ラクになる。

自分を許せば、ラクになる。

 

 

著者の本では『反応しない練習』がベストセラーになっていて、これには相当助けられた。

 

基本的には反応しない練習がベースとなっていて、それが本著では、ある30代の独身サラリーマンを主人公とした物語形式で話が進められている。

 

何だか似ている。

正しさにこだわる点。

 

仏教的には『慢心』。

 

本来何も無いものに、正しいや間違っていると判断を下している。

 

そして、その慢の原因は承認欲。

 

自分は間違っていないんだと言うことを認めさせようとする気持ち。

 

仏教的には、まずサティにより怒りがあることを認め、それが妄想への執着であることを自覚する。

そして、今自分がやれることに行動を移す。

 

なるほどだ。なるほどなのだが、何かスッキリしない。

問題は承認欲が発生する原因となる業。

これが自分は強い。それ故に、やってもやっても怒りが沸いてきて、しまいにしつこい怒りを抱える自分に嫌悪感を抱き、疲れはてる。

 

相手に対する怒りは確かに落ち着くが、「妄想なんかにとらわれている承認欲の強い自分

が悪いのだ」と、問題の種を自分の業に転化する感じ。

従って、罪悪感、自己嫌悪が残り、ニュートラルにならない。結局我慢している感じになる。

下手すると、過去の自分の行いや自分の生育過程に対するダメ出しにまで発展する。

 

以前、上手く走れずイライラする自分にこれを試したところ、「また怒ってるよ。まただ。ほらまただ!」と怒りがエスカレートし、遂には怒りが抑えられなくなって自分に対して暴力を振るう結果となって苦しんだ時期がある。

「自分が悪いんじゃない。業が悪いんだ。」と考えても、結局そんな業を積んできた俺がダメなんだ!と、むしろ分散していた怒りが自分に集約されて、強烈な怒りとなってしまう。

最終的に「なんで俺はこんなに煩悩だらけなんだ」と落ち込み、悲しみになり、コブでぼこぼこになった頭と共に落ち着くと言うオチ。

 

または、マインドフルネスすら出来ない自分の集中力の無さ、落ち着きの無さばかりが際立ち、結局自己嫌悪に落ち着いてしまう。

 

ある日、脳震盪を起こしそうなくらい頭をぼこぼこにしたとき、冷静になって、「多分やり方違うな…」と、別の考え方に切り替えたことを思い出した。

 

ダメ出しと反発のうち、反発は静まるけど、ダメ出しが強化されてしまうよ、と言うことだ。

 

後に、タイ仏教に出家したプラユキ・ナラテボー氏の著書を読んだ。

マインドフルネスはやり方を間違えると、自己嫌悪、さらには離人症にまで発展する危険性があるため、正しい指導者のもとでやりましょうと述べていた。

 

続く。