おこる

怒る、叱る。

 

どちらでもいいが、教育のために怒る。ってどうだろうと考えた。

 

自分が何かミスして上司から怒られる側だったとする。

確かに「怒られないように」気をつけるようにはなる、一時的には。

でも、意識が「仕事の成功」から「上司の機嫌」に切り替わってしまう。

 

或いは「見返してやる」と反骨精神からやる気を出したとする。でもそれも、意識が「上司或いは他人を見返す」ことに置かれる。

 

これ、組織としてはいかがなものか…。

 

仮令統一感が出たとしても、とても不健全な気がしてならない。

 

怒る側は色々言うだろう。お前のためだとか、怒ってもらうのはありがたいことだとか、組織だからだとか。

 

でも、もっとやり方あるよね?

 

まあ本人が喜んでいるならいいけど、もし恐怖感とか反骨精神でコントロールするのが常態化しているとすると、怒りの連鎖が発生するだろうし、恐れで身動きが取りにくくなる人も当然現れるだろう。

 

そんな感情的な組織で、良いものが生まれるとは到底思えない。

 

人は「無心で集中」が最も効率的だからね。