蝕まれる左半身

左胸の奥、どちらかと言うと左背中の奥に鈍痛がある。

胃か心臓辺りの近くと思われるが、そこを中心に頭が屈曲してしまうような感覚がある。

 

「もうこれはまずい」

 

絶対に夜中に食べてはならない。

そう強く決意したはずが、朝方になってミルクキャンディを食べながら寝ている自分がいた。

 

まただ。

 

もうこれは異常。

 

ネットで調べると、夜食症候群と言う言葉が出てきた。

 

https://www.google.co.jp/amp/s/medical.jiji.com/topics/amp/1123

 

記憶はある。でも意識が朦朧としていて、理性が効かない。

 

心療内科の先生に相談してら何と言われるだろうか、想像してみる。

 

恐らく、

「症状の一つ。薬で抑えても、ストレス源を何とかしない限り、別の形で現れるだけ」

 

と言われるだろう。

 

歩けない。走れない。仕事…。

諸々のストレスが夜食に繋がってしまっているようだ。

 

そしてかえってそれによって余計に歩けなくなると言う悪循環に陥っている。

 

だから、どこかで流れを変えねばならない。

別の趣味はないか?

 

大祓詞でも覚えようか?

何が邪魔を本でも読もうか。

 

だが、集中出来ないのは分かりきっている。

集中しようとしても集中しきれなくて余計にストレスをためそうだ。

 

「気長に…。」

 

そう思うしかないのだろうか。

 

昼間、うたた寝をした。

 

夢を見た。

ある中学生の野球部が練習をしている。

みな綺麗なフォームだ。

 

ボールがこちらへ逸れてきた。

 

ある少年に返す。

とてもいい笑顔で帽子を下げていた。

 

夢から覚めたあと、

「このまま人生終えるか?」

その少年に、質問を投げ掛けられているような、よく分からない印象が残った。

 

ベッドから起き上がると、左半身がとてつもなく重いことに気づく。

 

腰から背中、肩にかけて力が入りにくい。

 

胃の影響で本当にここまでの異常が出るのだろうか?

なにか別の疾患に襲われているのではないか?

 

あの少年は何を伝えようとしていたのか?

 

何か、もう崖っぷちに立たされているような、異様な感覚に襲われた。

自分への怒り

ずっと歩けないのは、内臓恐らく胃による影響と結論した。

 

首の左側、肩甲骨左下、上腕二頭筋の張り、首から腰にかけての張り(左側のみ)。

特に先週土曜日がピークだった。その前の夜は空腹で寝ながら食べていた。

 

もう悪いスタイルを変えねばならない。

何としてでも。

 

月曜日朝は途中起床も、朝まで胃を空けられた。

日中は左半身が前に倒れないように背筋を伸ばす意識をもつ。

しかし、伸ばしたあと、頭が何かの重さに負けて前に倒れようとしている。何度も何度も背筋を伸ばすが、何故か左肩から頭が前に倒れる。

背骨の左辺りにも鈍痛がある。

 

帰宅後、右足の外反母趾が限界に来ていることに気づく。

全てこの左半身の影響を受けてしまっている。

何としてでも変えなければ、もう二度と歩けなくなる。

 

しかし、己の意思の弱さが現れる。

薬によって不意に寝てしまったあと、寝起きに間食。

 

翌朝、己の意思の弱さに朝からイライラが止まらない。

日中は相変わらず左肩が倒れる。

帰宅時はいつものように悪化。

跛行が酷くなる。胃周囲の筋肉の緊張に加えて、仕事中の体勢が余計に拍車をかけている。これも間違いない。

次第にストレスもたまる。

その日帰宅時、また薬で寝たあと、再び朝食用に購入していた食料を間食してしまう。

 

しかもほぼ無意識に。

 

食べないと不安。脳が勘違いしているように思える。

進む身体の崩壊、それを上回る無意識の不安…。

 

木曜日はひたすら背筋を伸ばしたのがよかったか、帰宅時の悪化は食い止めたかに思えたが、翌日帰宅時は悪化。

 

左肩が前に倒れて、かつ右の方へ巻きぎみに倒れてしまう。そして爪先が前を向かなくなる。これに加えて、恐らくガスによって肩甲骨の位置も上方へずれてしまっていて、身体の軸が無くなっている。

 

もうだめだ。

 

全ての歯車が噛み合ってない。

絶対に変えたいと言う気持ちが空回り、ストレスで食べる。

さらにストレスで胃が余計にダメージを受け、仕事が追い討ちをかける。

腸も弱い。すぐにガスだまり。

 

自分の性格、薬、仕事、全てが妨害している。

そもそも根本原因がこれなのかも断定できず、スタイルを変えれば直るのかも不明。

 

完璧に迷路にはまって、脱出できない。

苦しい。とにかく苦しい。

内臓

やることもなく、歩いてユニクロへ向かう。

みやすのんき氏の本に、「骨盤がきっかけで足の重みで出す」と言う内容があったことを思いだし、左足を放り出す感じで歩いてみる。

しかし、やはり左側の腰が引けてしまっている。

両手をポケットに入れて、腰の動きを確認しながら歩いてみると、まるで左右の足の出方が全く異なっている。

右足が出るときは右側の骨盤も前に出ているのに、左足が出るときは左側の骨盤が後ろに下がっている。

左足を右と同じように出そうとしても、何かに邪魔をされて上手く出ない。

 

何が邪魔をしているのかを確かめるため、右足の出方をひたすら真似て歩く。

 

何故腰を引く出し方をしてしまうのか?身体がそっちを選ぶ理由は何なのか?

ユニクロで歩きながら、じっと体に耳を傾ける。

 

どうやら、スピードを上げているときだけでなく、ゆっくり一歩を進めるときから腰が引けているようだ。

原因を突き止めるため、さらにゆっくり、スローモーションのように、腰が引けないように足を出そうとすると、ほんの一瞬目眩のような、脳が信号の処理に戸惑っているような、奇妙な感覚に襲われた。

 

やはり神経か?

 

さらに、一歩を出した状態で、ストップしてみる。

 

いや、腰から背中にかけて、左側だけ異様に反りにくい。筋肉が疲弊している。

 

その状態で、何度か後ろに沿って、背骨を伸ばす動きをしてから歩くと、足が出やすくなる。

 

「根本原因…。」

 

足が出ないため、ずっと足や股関節を見てきたが、股関節が力を発揮しようとするのを上半身が邪魔している。

 

足が前に出て着くとき、上半身は沿って骨盤が前傾しなければならないのに、上半身が前に倒れて骨盤が後傾し、リズムを崩している。

さらに、足が着いたあとも、すぐに上半身が前に倒れようとするため、骨盤が後傾し、足が流れて後ろへ蹴り出すような動きになっている。

 

恐らく、腸腰筋もそれなりに働いているのだが、遊脚後期に骨盤が前傾する場面で上半身左側の可動域制限によって、腰が引けてしまっていると推測される。

 

その後、何度も一歩足を出したところでとめて、上半身を反るストレッチをしながら歩いた。

 

翌日。

起床すると、やはり左半身が硬い。

掃除をしながら何度もストレッチする。

ストレッチ直後は足が正面に出る。しかし、すぐに肋骨から背骨あたりが丸くなって猫背になってしまう。

 

ストレッチ直後とそのあとを何度も繰り返してみると、いかに通常時に上半身が狂っているかがよく認識出来る。

 

では、その根本原因は?

 

もう内臓由来としか考えられない。

 

特に胃のストレスによって、胃周囲の筋肉が縮こまり、それによって左半身が前に倒れ、体軸が狂って足が正面に出ない。

足が内転不良で正面に着かないので、大腿筋膜張筋が固くなる。

 

特に仕事中。それも昼食後。

上半身が胃の重さに負けて余計に左半身が前屈みになる。

 

と言う流れが最も納得出来る。

 

ではその胃のストレスは何か?

やはり夜の食事。

 

いずれにしても、原因となっている部位はほぼ特定。

あとは、ひたすらストレッチをしながら、こいつが硬くなる習慣を見つけていくしかない。

 

もう、これが最後のチャンスかもしれない。

 

ある秋の夜

「終わった」

 

何度も何度も心の中で呟く。

 

何の希望も無くなり、どうしたらいいのか分からなくなり、仕事にも集中できない。

 

もう終わった。

 

ただただ悔しさを必死にこらえて、希望、夢、生き甲斐、喜びを一個ずつ手放し続けねばならない人生。

果てしなく続く苦痛に満ちた人生。

もう何も見たくない。

 

だから、終わりを意識しないと、トンネルの出口を意識しないと、窒息してしまう。

 

「どうしたらいいんだ。」

 

そう絶望を感じて焦るのは、もう疲れた。

 

だから…もう終わった…それでいい。

 

何かに終われ、逃げ場を探し続ける、そんな人生に耐える体力はもう無い。

 

生きるも自由。死ぬのも自由。

 

自由なのに決められない。

 

決められなくて、仕方なく、誰かを傷つけ、誰かを邪魔する。

 

考えれば考えるほど、愚かな生き物だ。

滑稽でしかない。さっさと絶滅すればいいのに。

 

今日も無駄に煙草を吸ったな。

 

ただ、ぼっーと、行き場を失った我を思いながら…。

 

「晩秋」

 

いい言葉だ。

 

劣化

半円を描くイメージも駄目だった。

うまく足が出たり出なかったり、相変わらず不安定だ。

 

昼過ぎにいつものように調子が悪くなっていく。

 

夜。何となく、立位で中殿筋を軽くトレーニングしたあと歩いてみると、感覚が違うことに気づく。

 

着地のときに尻に力を入れて歩くようにする。

そうすると、びっこひきが全く出ない。

 

そして、同じことは三年前、バランスが変だと感じていた頃にやっていたことを思い出す。

つまり、あのときから全く改善してない。

 

尻の動きに着目するため、歩隔を広くとって、右左と蛇行しながら歩いてみる。

 

左→右への移動がとてつもなく鈍くやりにくい。

すぐに尻が左へ寄ってしまい、右へは踏ん張ってもなかなか寄らない。

外転筋が著く低下している。

典型的なトレンデレンブルグ。

 

そして、この動きは昨年の春、股関節faiを発症する直前に走りながらやっていたことを思い出す。

 

もう四年間、何も変わっていない。

色々な歩き方、走り方を試し、整体やリハビリにも通ったが、何も変わっていない。

 

今日も何人ものランナーに抜かれた。

 

俺は何もできずに、ただ体力の衰えを、指を加えて待つだけ。

 

ただですら頭も悪く醜い人間だが、歩き方も醜い。

すべてが醜い何の取り柄もない恥ずかしい人間。

 

もういい加減諦めて死んでしまおうや。この先何も無いから。

半円を描く

水曜日。身体の使い方が分からず、左右に身体を傾けて、無理矢理内転と外転をしながら歩き、いつものように何も掴めずに帰宅。

 

もうじき死ぬのだから、どうでもいいか。

 

翌朝、なかなか仕事に行く気が起きず、ギリギリに起床し、ぼっーとテレビを見ていたら、あるCMが流れていた。

 


花王 クイックル 手強い油汚れにSTRONG! CM 阿部サダヲ - YouTube

 

最後の歩行のシーンが気になった。

 

がに股っぽいが、そこは置いといて、後ろ足の向かう方向に着目すると、普通に前に出している。

前足をかわすために、「横から外転させて内転させる」みたいなことはせず(実際にはしているのだが)、前足を乗り越えるように前に出している。

 

横からかわすのではなく上から乗り越える。

 

しばらく試す。

 

相変わらず足の向きが右前を向く。

そこをなんとか修正するために、両足の内くるぶしを、自転車のペダルを漕ぐように、半円を描くように動かしてみる。

 

そう言えば、みやすのんき氏の本にも、「腸腰筋を使うためには半円を描く」と書いてあった。

 

なかなか理解出来なかったが、こう言うことか。

 

しかも、競歩の骨盤の動きになる。

 

右足が着くときに左足を上げることで、右足に体重がのり、右の骨盤が上がって、左回旋する。そうすると、うまい具合に左上前腸骨棘あたりが慣性で前に向かい、スムーズに足が出ているような気がする。

 

恐らくこれっぽいな。

 

踵から着くのだが、前後に足を開いて踵から着くのではなく、一旦上がった足を下げながら踵から着く。

 

記憶の中で、以前も確かに踵から着いていたはずだが、何故かしっくり来なかったのはこのせいかもしれない。

 

「えらい感覚が違うな…。」

 

同じ歩くでも、前後に伸ばす歩き方とペダルを漕ぐように歩く歩き方、全く違う動きをしているようだ。

 

だが、おかしな動きをし続けた代償は大きい。

 

左股関節が狂ってしまっていて、恐らく脱臼しそうな位置で固まってしまっているのだろう、大腿骨が正面を向いてくれない。

 

分かっている。

もう正しい動きをしようとしても、それをエラーとして認識してしまう。

 

それを修正することなんて、今後出来るのだろうか…。

 

死ぬ方が早い気がするな。

壮大な罰ゲーム

左足が着いたあと、左の骨盤の上がりが異様に早い。

同時に上半身も傾く。

 

「悪い動きを続けたために、筋肉の回路が間違った動きを記憶してしまった…」

 

そう思った瞬間、とてつもない喪失感と虚無感に襲われた。

 

「二度とまっすぐ歩けない」

「二度と大会に出られない」

「一生びっこひき」

 

もう生きている意味がない。

 

休職中、気持ちを立て直してくれたのはランニングだった。

あのとき、ランニングのお陰で生きる希望を取り戻した。

 

ランニング出来なくなったら死ねばいい。

 

本気でそう思っていた。

 

それからたった数年で現実になるとは…。

 

頭が痛くなった。

死ぬことを意識すると、落ち着く自分がいた。

 

何故生きるのか。

何故死んではいけないのか。

今死ぬのは勿体無いのか。

今死なないのは勿体なくないのか。

病気で死ぬのはよくて、頭で死ぬのは何故ダメなのか。

 

 

そんなことを考えながら、ぼっーとスーパーで買い物をしていたとき、ある男が目に入った。

身なりのあまり良くなさそうな男。

財布の中身を確認している。

 

理不尽。

 

理不尽だらけな世の中。

 

喜びも楽しみもとことん奪われる現実。

新しい生き甲斐を見つけないお前が悪いと言わんばかりの現実。

頑張らないお前が悪いと言わんばかりの現実。

 

顔、かたち、能力、環境、すべてが自分の意図では決められない。

勝手に決められた配役を演じ、勝手に決められた運命に翻弄され、悲しみ、憎み…一体俺は何をしているのだろう。

 

感情をもった人間は最も愚かな生き物だと思った。